今では行儀作法を身につけさせるといった狭義にしか用いられなくなってしまいましたが、躾とは本来、「一人前に育てること」を意味していました。子どもの人権が守られることはとても大切であり第一義に尊重されなければなりませんが、昨今、子どもの自主性を重んじるあまり、我侭と自主性の境目が曖昧になっているように感じます。また、わたしたち大人にも、「自分さえ良かったら主義」が蔓延し、世のため人のために尽くすこと、誇りを持って生きること、そのような気概を失ってはいないでしょうか。
 善悪や損得ではなく、潔さに美意識を感じ、それを行動の規範とするような生き方を、身偏に美しいと書く「躾」という言葉に象徴させ、これからの子育て文化を創造したいと考えています。
 会の名称から誤解を受けやすいのですが、私たちは「子育ては女がするものだ」などということを提唱したいのではなく、サラリーマンの誕生とともに専業主婦が典型化する以前の日本人の暮らしから、子育て文化を考えるヒントをつかみたいと思っています。  
 子宝という言葉からもわかるように、日本には、職住が分離せず大家族が子どもを育てた時代、親のみが責任を負うのではなく、みんなが子どもを大切にし、子どもの世界と子ども時代をあるがままに容認してきた歴史があります。(ルソーが、近代になって「子どもの発見」と敢えて言わなければならなかったヨーロッパでは、小さな大人としてしか認識していませんでした。)
 戦後、女性の地位は確かに向上しましたが、一般的にはまだまだ自由に発言したり、ともに考えたりする場が不足しています。男女を対立する概念として捉えるのではなく、共に生きるものとして認め合うことを基礎に、できるだけ多様な関係性の中で子どもが育つための文化を創出するためには、子育てを家族や共同体の楽しみと位置付けたい。そのために敢えて会員を女性に限定し、京女の心意気を京都の伝統文化の中で問いたいと考えています。
誤解をおそれずに申し上げれば、ステレオタイプ化してしまった教育問題に、京女の視点から、京の伝統文化を通じて照射できるものは何か、これがこの会が選択したアプローチなのです。
 平成12年度からの教育指導要領が改定になり、昭和40年代と比較するとその内容量は半分になるそうです。詰込み教育への批判から公教育の場にゆとりを、との発想からなのでしょうが、毎土曜日、学校から開放されてしまった子どもたちは、いったいどこへ行けば良いのでしょう。自然は破壊され、地域共同体は形骸化し、一歩外へ出れば交通戦争を戦わなければならない子どもたち。この不況下、週休二日を確実に確保できる家庭が、いったいどのくらいあるのでしょう。親子のふれあいの時間は量ではなく質のはずです。公立校で十分に学べない子はやはり塾へ行くことになり、学歴社会が現実である以上、結局受験戦争はなくならず、何のために学ぶのかを自らに問う間もなく落ち着かない子どもたち。私たちが今ほんとうに取り戻さなければならないのは、「暮らしの文化」ではないでしょうか。子どもに何を教育したいのか、その合意がないままに日本は急成長してしまった感があります。
 聞くところによると、ドイツではマイスター 制度が見直され、受験戦争に少しずつ歯止めがかかっているそうです。日本も、ドイツに負けず劣らずあらゆるジャンルにおいて高い技術力と伝統を持った職人が、国を支えてきました。それは工業のみならず、農業や林業、漁業においても然りです。
「京都の躾を語る女性の会」の呼び提言者の皆さんは、各界においてそれぞれご活躍中の女性の方々です。皆さんとともに語り、考え、学びたいと思います。
・京都の工匠や伝統芸能を継承する人々をお訪ねし、そこに息づく躾や訓に学びます。
・京都の神社に詣でて祭事や行事について学びます。
・講演会やシンポジウムを行います。
・その他、京都府神社庁が行う行事に参加することができます。
京都の躾を語る女性の会 事務局所在地:
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